中国から日本に伝わってしばらくは、仏教は貴族など特権階級の人のものとなっており、民衆からとても遠い位置にありました。しかし時代が進み、貴族政治が破綻し始めると、誰もが救われる教えが渇望されるようになりました。
そうした民衆を救うために、念仏の教えを広めようと現れたのが法然(ほうねん)上人です。法然上人は、万人救済の宗教は、口称念仏(くしょうねんぶつ)の一行にあるのみという確信を得て、承安五年(1175年)に浄土宗を開宗しました。
その後、社会に広く受け入れられた浄土宗は法然の死後、弟子たちによっていくつかの派に分かれました。現在は、知恩院門跡でもある浄土門主を長とし、全国に分布する浄土宗寺院約七千ケ寺を47教区に分け、教義を広めるため教化を行っています。